最近は、生産性のあるものを良しとし、生産性の薄いものは価値がない、
という風潮があるような気がします。

 

この「道」のセリフに私が感銘を受けたのは、
私自身が、胸を張って、‘生産性のある’ものの立場に立てないからでしょう。

 

生活に制限を伴う病気をもつと、どうしても、生産性からは離れてしまいます。

 

約半年に渡る入院生活の中で、私は、
「ただ寝ているだけ。寝ているだけではなく、
毎日医療費がかかっている。国の医療費も圧迫している。
治る病気ならともかく、治らない病気である。私が、ここで、こうしている意味はあるのだろうか」

 

こういう思いが何度も心をよぎりました。

 

これは、先に紹介したご老人の心境と似ているかもしれません。

 

そこで、
僕たちには分からない存在理由があって、そこにあるのだろう。
という言葉は、私の心に沁み入りました。

 

 

皆様は、いかがでしょうか。

 

順風満帆で生きているようにみえる人でも、
もしかすると、ご家族の誰かがご病気かもしれない。

 

孤独なご老人を、ご家族におもちかもしれない。

 

皆様は、この言葉を、どのように味わわれるでしょうか。